control of ○○ ○○○○.

みなさん、こんばんわ。ご機嫌いかがですか?
僕の1日が、僕の一生が、無駄でありませんように。(二階堂のCMより)
たぶん、こんな感じの言葉&酒造だったと思う。
本当に、いいCMですよ。
この言葉をCMで聞いたとき、何だか胸が苦しくなったね。
えぇ、今日は過去の事を書いてみようと思います。
最後のほうになると思うんですがね。
やあ、ぼくだよ。
それじゃあ、今日の事でも書いてみますね。
今日は、8時過ぎに起きて、それからお母さんが妹を病院に連れて行ってから半分睡眠状態でしたよ。
ハーフスリープ状態です。
ハーフって言うと、ハーフゾンビ状態を思い出しますね。
えぇ、今でもハーフゾンビです。
でも、何だか今は多感な状態ですよ。
すぐに涙が出ちゃう。
まあ、それも後で書きますね。
で、ちゃんと起きてからは、居間にあったおにぎりを食べたりしたんだ。
そんで、11時過ぎ頃にコンビニに行きましたよ。
その時に明らかにリア充してそうなカッポーがいたのです。
轢いてやろうかと思った。
スクーピーさんで轢いてやろうかと思った。
で、コンビニから帰ってきたら、そいつらがお喋りしてんの。
轢いてやろうかと思った。
スクーピーさんで轢いてやろうかと思った。
まあ、普通にスルーしましたよ。
お家に帰って、トイレに行ったら、外からそのカッポーの声が聞こえてきて、笑い声とかしてんの。
もう、被害妄想が強いぼくは、ぼくの事を笑ってんのかと思ったとさ。
まあ、家に誰もいないから、ぺぎぇ〜って叫んだり、ちんこって言ったりしながら気にしない事にしたのです。
その後、ネットをしてました。
1時頃に、お父さんから電話がかかってきましたよ。
家に来る途中に、昼食とかを買ってきてもらえるとの事だったので、マックのポテトとジューシーチキンを頼みましたよ。
あと、お酒も。
そんで、お父さんが家に来てからは、昼食を食べながらネットをしてました。
で、お母さんと妹が帰ってきたりしました。
ぼくは、普通にネットをしてたとさ。
お酒を飲みながら。
今日も、「モヤさま」が無いので、土曜日なのに嫌になっちゃう。
さっき、ネットで番組表を見たら、来週も無いみたいですよ。
どちくしょう!!
本当に、大分で打ち切りになったのかと思うほど嫌気がさします。
もし、そうだったら、ぼくの人生の楽しみがかなり減りますよ。
大好きな番組なのにな。
で、その後はいろんなCDを聴いたりしました。
音楽って良いですね。
その後は、「ダークナイト」を見ましたよ。
この映画は本当に名作。
ヒース・レジャーのジョーカーが素敵過ぎます。
ヒース・レジャーが亡くなってしまったのが残念ですよ。
この映画は、映画館で見ました。
映画館で見てて、本気で鳥肌が立った映画の一つです。
大きな画面で、大きな音で見れて良かったですよ。
ダークナイト」を見終わった後は、寝ました。
まあ、寝付けなかったんですがね。
そんで、5時前頃に体を起こして、ダラダラしてました。
で、お風呂に入ったんだ。
お風呂から上がった後、テレビを見たり、ギターを弾いてましたよ。
そんで、7時頃に晩御飯を食べました。
晩御飯を食べながら、ホッピー(焼酎割り)を飲みました。
その時に見ていた動物番組の子犬たちが可愛かったです。
まあ、個人的には動物は好きなんですよ。
犬に限らず、猫とか、ウサギとか、ハムスターとか、カメとか、ウサギとか。
で、晩御飯を食べ終えた&飲み終えた後はお部屋に戻りました。
お部屋では、ネットをしたり、テレビを見たり、音楽を聴いたりしてますよ。
そして、さっきアメブロのブログを久しぶりに更新しようと思ったのです。
そんでさ、過去の事を書いてみようと思ったのですよ。
主に不登校真っ最中だった中学のことについて。
というのも、アメブロには「ぺた」っていうブログを見たときにつけるサインみたいなのがあって、そのぺたをつけてくれた方に不登校の専門家の人がいたんですよ。
これは、不登校経験書くのも面白いんじゃね?って思ったんだ。
・・・・・結局、書けませんでした。
えぇ、思い出していくうちに鬱が酷くなっていったのです。
この前、人は記憶は消せなくても思い出さないことは出来るって書きましたね。
その、禁断の記憶を開いてみたら、あら不思議。
ドイヒー精神状態に突入さ!!
過去を振り返って、それを踏まえて書いた卒論も精神的にはいっぱいいっぱいでした。
それと同じというか、ありのままを書き綴っていると、発狂しそうになりました。
辛い思い出を思い出して、それを消化する事も大切だけど、それに至るプロセスってキッツイもんですね。
でもまあ、ここであえて書いてみます。
中学の時限定で書いてみますね。
辛いですが、きついですが書いてみます。
後々になって、消したくなるかもしれませんが、消しません。
だって、それがぼくの生きてた証の一つになるかもしれないし、誰かを救う事もなるかもしれない。
まあ、誰かを救う事になるってのは、おもいっきし妄想ですがね。
中学1年の頃、同じクラスに話をする友人はいました。
でも、僕を含めたグループはクラスでは忌み嫌われてましたよ。
休み時間に友人と話を終えて、席に着くと、隣の席の人が小声でぼく達の嫌味を言うのが聴こえてきて、それがかなりの苦痛でした。
それから、僕は自問自答することが増えたんだ。
何故、人は人を蔑み、人を忌み嫌うのか。
見た目ですか?雰囲気ですか?
若造だった僕には全然理解できませんでしたよ。
1年の時、一回学校に行くのを嫌がりました。
そしたら、親は1年の時の担任の先生に電話をして、担任の先生が家に来てくれたのです。
その先生は熱血教師みたいな先生でした。
問題を解決しようと相談してくれた、その先生に迷惑をかけたくないという気持ちと親に迷惑をかけたくないという気持ちで、1年生の頃は学校に行きましたよ。
で、自分の人生を変える出来事が起きたのが、中2の頃。
原因は、2年生の時の担任の教師との問題でした。
最初、2年の担任教師は、ぼくと、ぼくの友人に問題があると言い、その友人を責めました。
僕は、それが辛かったのです。
確かに、そういう事を促してしまった自分にも非があります。
今でもその友人の事を考えると、自分を殺したいほど友人を責めてしまった原因を作ってしまった事が辛いですよ。
ぼくは、大切な友人を傷つけてしまいました。
たぶん、これは一生悔やんでもどうにもならない事でしょう。
いまさら、その友人に謝ったとしても、どうにもならない。連絡を取る事もできない。
友人の事が気になりつつ、ぼくは1学期の頃は普通に学校に通えてましたが、2学期になってから学校に行くという事が凄く辛くなったのです。
その時は、親が仕事に行く途中に車で学校まで送ってもらってたのですが、学校に行く道中で吐き気をもよおしました。
これには、親もさすがに驚いたのか、学校に行って、親と2年の時の担任が話をしたようです。
その後、いろいろとあり、精神科の診察を受けました。
当時の僕は知りませんでしたが、最近になってその病名を知りましたよ。
適応障害との事でした。
それを知ったのは大学卒業後に障害者年金を貰うために診断書を書いてもらった時だったので、大学で心理学や精神病の事を専攻していた自分にはそれが分かりましたよ。
その診察を終えた後、近くのデパートで親と昼食をとりました。
親は以前とは打って変わって優しくしてくれたのです。
ぼくが不登校になった当初、親はいろいろと苦しかったと思います。
ぼくが、2年生で学校に行きたくないと主張した時、お母さんは過呼吸になって、近くに住む叔母に来てもらったりしました。
その時の事を詳しく書けるんだけど、さすがに、ここに書くことは出来ません。
誰だって、全部曝け出せるわけではないですよ。
で、診察後しばらくは自宅で勉強したりしてたのです。
そんな時にやって来た。
中2の担任の先生が。
えぇ、思い出すだけで嫌気がさしますが、書きますよ。
担任の教師は「○○○君の事を病院の先生から聞いたけど、普通に学校に行けるって言ってたから、学校に来なさい。」との事でした。
・・・んなわけねぇだろ!!カス!!
そんなに簡単に適応障害や根本の問題が解決するわけねぇだろ!!
今なら、そういえると思いますが、当時のぼくは今以上に、大学入学当初以上に寡黙な状態で、誰かに逆らう事も出来ず、周りの目が怖くて促されるまま学校に行く事にしてしまったのです。
まあ、最初は相談室登校って事にしたんですがね。
その日の夜、家に担任から電話がかかってきて、親と話をしてました。
その次の日、学校に行きましたよ。
相変わらず、学校が近づくたびに眩暈がしたり、気分が悪くなったりしました。
でも、結局相談室に行きましたよ。
えぇ、怖くてたまりませんでした。
学校って何なの?
こんなに怖いもんなの?
で、その日は午前中で家に帰ったと思います。
ごめんね。10年前の事だから記憶が曖昧なんだ。
でも、こんだけここまで書いていて、結構覚えてるという事にビックリドンキーです。
そんな毎日が続いていて、相談室に通う子で同じクラスの子がいていろいろと話をしたりしたんだ。
時々、相談室に担任が来て、いろんな事を言ってきたのです。
その子は、普通に担任の先生と話をすることが出来てましたが、ぼくは何の言葉も発する事が出来ずに、担任の先生から畳み込まれるように暴言を浴びせかけられました。
その後、その子に優しく接してもらえたりしましたが、問題はぼくと担任のおばさん教師にあるので救いにはなりませんでしたよ。
今にして思うと、その子に申し訳ない気分でいっぱいなんですがね・・・・・
時が過ぎ、3学期になりました。
担任の刺客でクラスメイトが給食時間にクラスに来るように言ってきたのです。
きっと、あのババアの事だから、ぼくをクラスに来させるまで帰ってくんなみたいな事を言ったのでしょう。
同じく相談室登校だった子は頑張って行こうとしてたのですが、ぼくは踏ん切りがきかなかったのです。
でも、クラスメイトの事を考えて、教室に行きましたよ。
本当に、異常なほどクラスメイトが優しすぎました。
そういう風に接しなければいけないと思っていたんですね。
何だか、クラスメイトに迷惑をかけてる気分で泣きたくなりましたよ。
教室に行く途中、隣のクラスの糞野郎に「あいつら、不登校なのに給食だけ食べにくんのかよ。」って言われたりしましたよ。
うん、今、過去に戻れるのなら、そいつをしばきたおしたい。
ケツの穴にバールの様なものを突っ込んだり、ちんこ潰したい。
で、クラスに着いてから、クラスメイトから話しかけられながら給食を食べてました。
まあ、ぼくは「うん。」くらいしか言葉を発しなかったんですがね。
そして、給食を食べ終えて、相談室に帰ろうと思ったのです。
その時に、人間不信になった決定的な事件が起きました。
相談室登校の2人(ぼく含む)が教室の前にある担任の机に呼び出されたのです。
つづく・・・・・
もう、今日は限界ですよ。
これ以上書くと発狂しますよ。たぶん。
というわけで、続きは明日か明後日か来月くらいに書きます。
あんまり、重くなるとなんなんで、すこしジョークも交えてみました。
例えば、「バールの様なもの突っ込む、ちんこ潰す」とかwwwwwwwww
まあ、書いてて思ったけど、さっきも書いたように不思議なほど覚えてるもんですね。
それほど、印象的な出来事で、心の奥底に永遠に消えないものとして残ってるんですね。
これを、乗り越えなければね。
無理だとは思うけど。
その過程で死ぬかもしれないけど・・・・・
まあ、そんな感じです。
それじゃあ、今日のニコ動ネタでもして終わりますね。
今日の曲は、Joy Divisionの「Shadowplay」です。

Joy Divisionは演奏はあんまり上手くないけど、それ以上に凄いものを持ってるバンドですよ。
何ていうか、感性に響く感じです。
イアンのボーカルが特に良いんですよ。
イアンが書く歌詞も素晴らしいです。
本当に、作詞面でイアンに影響を受けてますが、何か?
23歳で亡くなってしまったのが残念ですよ。
ぼくも、最初は23歳で死にたいと思ってました。
今は・・・秘密☆
とりあえず、残せるものを残してから死にたいです。
たぶん、後数年かかると思いますよ。
ぶっちゃけ、不登校の事を詳しく書いたせいで精神的にまいってます。
書かなきゃよかったな〜と思っても、残したいんだよ。
ぼくの人生の一部を。
そんな感じですぅ〜
というわけで、今日はこのへんにしておこうと思いますよ。
それでは。(-_-)/